カルマ

2006年7月4日
 あるスピリチャルな友人が「カルマ」という言葉をよく使う。
 この身に起こる理不尽な不運や不幸。
 それは皆カルマのなすところらしい。
 ヒンズー教では下位カーストに生まれたこと、それ自体がカルマだという。
 虐げられ差別されることで前世で犯した罪の清算をしている、とのこと。
 宗教によって信じるもよし、信じないもよし。
 日本に生まれたなら、比較的個人の自由がきく。
 
 わたしは前世のことは知らないし、同様に死後のことも知りはしない。
 わたしが犯した罪は。
 罪と気付かずに犯しているものも含め、意識しているものにせよしてないものにせよ、清算というものがあって欲しいとは思う。
 何か苦しまなくてはいけないような気もする。

 ただ、時に不運だと思ったり時に努力が報われなくてやるせない思いを味わうことがあっても。
 それがカルマのせいだ、と。
 本心からそう言うのなら、理不尽だと感じても、自分の知りようのない前世で犯した罪に対して、もっと真摯に頭を垂れる気持ちを伴うものだろう。
 理不尽だと感じたりすることを恥じるだろう。
 残念ながらわたしには、そんな殊勝な気持ちは芽生えない。
 宗教がないから当然といえば当然だが。

 不幸や不運が起こるたびに「カルマ」が清算されたとしても。
 それを嘆き、相手があることだとしたらその人を恨み憎むことによって再び「カルマ」を得るものなのではないかと思う。
 理不尽さをどう受け止め、どう対処するのか。
 そういう姿勢が問われるのではないだろうか。

 長い年月にわたって多くの人が信じてきたことには、真実が含まれているとわたしも思う。
 が、一部分だけ取り出して都合の良いようにアレンジするやり方は嫌いだ。
 

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