学生運動が盛んだった頃は社会の中の自分というものにもっと目を向けていた時代だったのかな、と思う。
 その善し悪しは問わないけれど。
 少なくとも、自分個人の問題以外に考える機会に恵まれていたということ。
 実質的な貧しさがまだ残っていたからなのかもしれない。
 
 絶対の正義などなく、永遠の幸せもない。
 そのことを忘れているような気がする。
 忘れているというより知らないような気もする。
 知らされないようにしているというべきか。

 福祉を求めるなら納税に文句は言えない。
 不正は多々あるけれど。
 力を得ようと思えば仕方ない。
 というのに。
 重箱の隅をつつくように不正をあげつらい、揚げ足を取ってみて、税金を払わない理由にしたてあげてみたり。
 恥ずかしげもなく、そういうことが出来る風潮を疑う。

 本来、力のない者に発言力なんてあってはいけないと思う。
 選挙権があるのだから、それで充分ではないか。
 人は平等でなどあるべきではなく。
 下らない人間のつまらない主張など取り上げるべきではない。
 皆に良い社会なんてないのだから。
 悔しかったら実業家でも政治家でも総理大臣にでもなって思うままにやってみればいい。
 なれないのなら、我慢していればいい。
 自分の分を弁えるってそういうことじゃないのかな。

 なんて話をとあるお客サマとしてみた日。

コメント

nophoto
茶助
2006年6月29日14:59

私も同じ意見です。
昔は自分のこと以外でたくさん考えなきゃいけない問題が
たくさんあったのでしょうね。
やるべきこともやらないで主張だけするのは虫が良すぎますよね。

最新の日記 一覧

<<  2025年6月  >>
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293012345

お気に入り日記の更新

テーマ別日記一覧

この日記について

日記内を検索