損なわれていくもの
2005年6月23日 気分が沈みがち。これが一般的に言うところのマリッジブルーというやつなんだろうか。
先日の上京は彼の仕事の話が押してしまったので、部屋探しまでは出来ず、再度上京予定。
新居を決めるにあたって、銀座の時のお客サマに相談に乗ってもらった。
戻ってくるの?仕事は?前の店に戻るの?
と、あまりにも嬉しげに尋ねられたため、結婚することは何故か言えなかった。
ええ、でもホステスはもうしないつもりなんで、丸の内OLにでもなりたいな、なあんて思ってます。
なんとか昔の調子を思い出しながら言う。
そうしたら、お客サマは張り切って。
じゃあ探しておいてあげる、何社か心当たりはあるから大丈夫だよ。
と、仕事探しにノリノリ。
このパターン、すっごい懐かしい。。。
お世話になったお客サマ方が頭に浮かんでは消え、なんとも暖かい気分になる。
彼らに会いたいな、と思う。
そして彼らの前で見せる顔の自分にも会いたい。
こうして過ごしている毎日に特に不満はない。わたしは普通だな平均的だな、と心から思う。そして、この状態こそが幸せと言うのだろうとも思う。
練り上げたように濃密な幸福感というのは一瞬のものでしかなく、薄氷の上を歩くようないつ崩れるか解からない緊張感とセットでしか味わえないものだ。
それもいい。だけど、この平凡な毎日はもっといい。自分でもよく解かっている。
ただ、なんとなく元々少ない華やかさみたいなものが損なわれていっているような感じはする。
不安。
良い恋愛をすると女は美しくなると言うが、それよりも複数にチヤホヤとお姫様のように扱ってもらう方が絶対に効果があると思う。
良いものを身につけ、良いサービスの店で繊細な美味しいものを食べ、良いものを見て聞いて。そうしてキラキラしたオーラを様々なものから貰い受け、そのオーラの膜に包まれて顔立ちの美醜を超えて美しいという雰囲気を醸し出すというものだ。
そうしてそれがまた誰かを惹きつけ循環していく。
幸せか幸せじゃないかは別問題で、キラキラを撒き散らして生きているような女がわたしは大好きだ。
自分がそうなろうともなれるとも思ってはいない。
だけど、身に付けた何もかもを忘れてしまいそうなこの毎日には不安が募る一方。
先日の上京は彼の仕事の話が押してしまったので、部屋探しまでは出来ず、再度上京予定。
新居を決めるにあたって、銀座の時のお客サマに相談に乗ってもらった。
戻ってくるの?仕事は?前の店に戻るの?
と、あまりにも嬉しげに尋ねられたため、結婚することは何故か言えなかった。
ええ、でもホステスはもうしないつもりなんで、丸の内OLにでもなりたいな、なあんて思ってます。
なんとか昔の調子を思い出しながら言う。
そうしたら、お客サマは張り切って。
じゃあ探しておいてあげる、何社か心当たりはあるから大丈夫だよ。
と、仕事探しにノリノリ。
このパターン、すっごい懐かしい。。。
お世話になったお客サマ方が頭に浮かんでは消え、なんとも暖かい気分になる。
彼らに会いたいな、と思う。
そして彼らの前で見せる顔の自分にも会いたい。
こうして過ごしている毎日に特に不満はない。わたしは普通だな平均的だな、と心から思う。そして、この状態こそが幸せと言うのだろうとも思う。
練り上げたように濃密な幸福感というのは一瞬のものでしかなく、薄氷の上を歩くようないつ崩れるか解からない緊張感とセットでしか味わえないものだ。
それもいい。だけど、この平凡な毎日はもっといい。自分でもよく解かっている。
ただ、なんとなく元々少ない華やかさみたいなものが損なわれていっているような感じはする。
不安。
良い恋愛をすると女は美しくなると言うが、それよりも複数にチヤホヤとお姫様のように扱ってもらう方が絶対に効果があると思う。
良いものを身につけ、良いサービスの店で繊細な美味しいものを食べ、良いものを見て聞いて。そうしてキラキラしたオーラを様々なものから貰い受け、そのオーラの膜に包まれて顔立ちの美醜を超えて美しいという雰囲気を醸し出すというものだ。
そうしてそれがまた誰かを惹きつけ循環していく。
幸せか幸せじゃないかは別問題で、キラキラを撒き散らして生きているような女がわたしは大好きだ。
自分がそうなろうともなれるとも思ってはいない。
だけど、身に付けた何もかもを忘れてしまいそうなこの毎日には不安が募る一方。
コメント